守谷には谷津がいっぱい

守谷には「谷津(やつ)」と言われる小さな谷、

「谷津田(やつだ)」と言われる谷津の中の田んぼがいっぱいあります。

今でも谷津(谷津田)のところ、今では住宅地になってしまっているところ・・・

モリズムでは、守谷の谷津について掘り下げて行きたいと思います。


<谷津とは?>

谷津は茨城県南部および千葉県北部に多く存在する特有の地形で、

約6千年前の縄文時代に海の入江だった跡です。

縄文時代は今よりもずっと海面が高く、茨城県南部および千葉県北部まで

海が入り込んでいました。

※神奈川県および東京都多摩地域にも同様の地形があり、「谷戸(やと)」と言われています。


<参考リンク>

谷津の成り立ちと谷津の現在

谷津・谷戸 ウィキペディア


<守谷さとやまマップ2013より>

【守谷の地形と原風景】

守谷は、利根川と小貝川、そして江戸時代に付け替えが行われた鬼怒川の三つの川に囲まれたまちです。中央には、常総市や取手市の方につながる「猿島台地」があり、三つの川につながる低地は枝分かれしながらひだのように台地に入り込み、谷津(谷戸)と呼ばれるたくさんの小さな谷をつくっています。

今から約6千年前の縄文時代には、海面の高さが今よりもずっと高かったことから、このあたりの谷は海の入り江であったと考えられています。守谷のまちや集落、畑などは、この台地の上を中心につくられてきました。八坂神社や永泉寺など古くからある神社やお寺も、そのほとんどは台地の上にあります。台地の裾には、いたるところで湧き水があり、谷津や川につながる低地は、水田として人々の営みを支えていました。そして台地の雑木林や谷津へと降りる斜面林は、燃料としての薪の利用や、落ち葉をつかった堆肥づくり、竹を使った道具づくり、山菜やキノコ、薬草の採集など、日々の暮らしに欠かせない場所として利用されてきました。この台地と谷津、林や斜面林が一体の生活空間を作っていたのが、守谷の地形と原風景の特徴です。