菅生沼にて 植物が豊富なのでよく訪れるという |
よく晴れたある日、本田さんと坂東市にある自然博物館を訪れた。野外フィールドが広く、歩いていても気持ちがいい。
ふと目をやると本田さんがサラサラと何かを描いている。その時間、ほんの5分ほど。描かれたのは、イシミカワ。目の前にあった薮の中に生えていた植物だった。
一緒に歩くと本田さんはいろんなものに気づく。植物や虫、そしてきのこ。それも格別に貴重なものでもなく、ふつうの人なら気にも留めない。それを楽しそうに発見し、絵に描いていく。
植物の生えている姿も記録 |
カメラや採集道具も必需品 ※博物館の敷地内では採取していません |
「世界が広い人だ」と私は感じる。同じ時間、空間で過ごしても何も気づかない人もいるが、より多くの気づきを持ち、それをまるで呼吸するように体内に取り込む人もいる。本田さんはそんな人だ。
植物画は本来、植物の姿を科学的に正確に、かつ芸術的に美しく描かれたものとされている。でも、本田さんが描いた絵を観ていると、正確さとともに、生き生きとして血の通った感情がわき出てくる。それはどうしてなのだろう。
絵について質問をすると、そこに描かれていること以上に、どんな場所に生えていたか、植物の様子、そして季節など、いろいろな情報が飛び出てくる。聞いていると情景が鮮明になって描かれた植物をより身近に感じる。植物を、そしてその環境をいとおしいと思っているのが伝わってくる。
本田さんいわく、葉っぱ一枚にストーリーがあるという。例えば、虫くいの葉。葉脈だけを残し、くわれている。たぶん、葉脈が固くて食べ残したのだろう。それはどんな虫なのか。観察しながら、そんなことに思いを馳せているようだ。
植物画との出会いは中学時代、授業で描いた植物の絵を生物の先生に褒められたことが少なからず影響しているという。子どもにとっては印象に残る出来事だったと。
そんな本田さんも大人になってしばらくは旅先での自然を描くスケッチを楽しんでいた。植物を中心に描くようになったのは、子育ての最中だった。
家事や子育てに追われ、自分だけの時間はなかなか取れない。常に誰かのための自分。その立場は妻や母と認識されることが多い。そんな時だからこそ自分の時間、自分に戻れる時間を大切にしたかった。お子さんが寝てから、ゆっくりと植物に向き合い、集中して絵を描いていった。描いている時間が一番自分らしいと思えたという。
当時「ボタニカルアート」はまだメジャーではなく、本田さん自身も知らなかった。ただ、植物を描き続けていくうちに、どんどん細かく描くようになり、それが「ボタニカルアート」というジャンルであることを知り、国立科学博物館主催の『植物画コンクール』に応募するようになった。数回の入賞ののち、2004年にトウモロコシの絵で、最高の賞である文部科学大臣賞に輝いた。畑で生き生きと育つトウモロコシが描かれている。審査員から、これは自分で育てている人の絵だね、と言われたそうだ。絵でそれを伝えることができるのは素晴らしい。
そんな本田さんが守谷に越してきたのは23年まえ。あまりの田舎であることに驚きはしたが、とても楽しいところだと思ったそうだ。
虫取りやドングリ拾い、畑での芋掘り、子育てしながら楽しめることはいくらでもあった。そして今でも楽しみを見つけることには余念がない。
守谷での過ごし方は、本田さんの頭の中にあるマップとサイクルに鍵がある。 どこにどんな植物があるか、キノコが生えるか、花が咲くのはいつか、実を付けるのはいつか。天気をみてキノコが出る予測もする。
絵を描きに出かけるのはもちろん、いろいろな果実を収穫すれば、ジャムやシロップ、果実酒に加工して楽しんでいる。
いつでも暮らすことを楽しんでいる本田さんに少しでも近づきたいと思ってしまうのだった。