もりや人vol.4

守谷に「廃墟の再生」に取り組む若者達がいるのをご存知ですか?

廃墟の再生と聞けばとても大変なイメージがありますが、彼らのスタイルはあくまでマイペースで自然体。今回は、そんなグループ「mfp」の代表、湯浅豪(ゆあさ ごう)さんです。


〈mfpのスタート〉
守谷市の南部、高野(こうや)地区。地区の中心にある高野小学校の向かいに、以前「青年研修所」として使われていた古い建物がある。利用されなくなって10数年、廃墟と化していたこの場所を地域の人々の憩いや交流の場として再生している施設、それがmfp。mfpはmoriya friend parkの略。湯浅さんたちの仲間の一人がつけたネーミングが「みんなからそう呼び習わされて、いつのまにか施設名としてもグループ名としても定着してしまいました(笑)」(湯浅さん)
湯浅さんたちがこの「廃墟」の存在に気づいたのは2007年の冬。大学の卒業を間近に控えて実家に戻ってきてはいたものの、守谷には自分達の遊び場がないと感じていた彼は、その荒れ果てた廃墟にカオスのような不思議な魅力を感じ、すぐに「ここを自分達のたまり場にしたい」と思ったと言う。早速、仲間と一緒に中の掃除を始めたものの、長年の放置に中は大変な状態。「何センチもの厚みをもった埃なんて初めて見ました(笑)。」というくらいにすごかったらしい。建物の外にも不要物が散乱した当時の写真も見せてもらったが、よくぞ片付けた、と思うほどだった。
ほどなく管理者である市役所から正式な了解をとりつけた彼らは、その後もコツコツとこの「廃墟」の掃除と片付け、建物の修復を進め、翌年の6月には再生の軌跡を映像や写真で紹介するオープニングイベントを開催した。その後も映像や建築、家具作り、音楽、アートなど、様々なジャンルの人が携わって展示会やイベント、ワークショップなどを行っていった。




〈たまり場の意味〉
mfpの活動スタイルは、「来るものを拒まず、去るものを追わず」。これまでもいろいろな仲間がここを訪れてそれぞれの好きなことに取り組んできた。湯浅さん自身もmfpを使って映像作品づくりに取り組んでいる。「集団で何かを創ろうというのとはちょっと違う。特定の活動日も決めていませんし、強制もありません。でも多くの友人が守谷に自分達の居場所ができたと思っているし、mfpを通して仲間ができたと感じていると思います。」
地域に対して開かれた場であることもmfpの特色。「まちおこしとまではいかなくとも、地域の人が広く集まって交流する場になるといい。」そう思って活動をしていると、地域の方がふらっと訪ねてきたり、差し入れをくれたりする。取材中も近所に住む小学生の男の子と妹さんが遊びに来ていた。

〈旅する若者〉
湯浅さんの横顔は、旅が好きで国内外の森を探検する青年。南米大陸まで旅して、一年もの間、現地の人と生活を共にした経験もある。特に、現地でも街の暮らしを離れ、なるべく自然と共に過ごす人々の許に身を寄せ、カヌーでアマゾン川を行き来しながら暮らす、生きる知恵を体感したという。そんな彼が最近感じることは、守谷でも南米とはまた違った豊かな自然があるということ。「ちょっとここらを探検してみましょうか」そう言われてついていくと、高野という場所がまた違って見えてくるのだった。